価値観の違いに出合った経験、みなさんはありますか?
私はいくつかあります。
その中で、前回の「100か0じゃなくていい!」に関連した働くことへの価値観に関する私のエピソードを紹介します。
会社員をやめてフリーランスで仕事をすると決意した旨を、ある60代の男性Bさん(私の親世代です)に報告した際のことです。
Bさん「??フリーランスの働き方??
それって仕事を続けるってことだよね?
天野さんは育児を大切にしたくて退職するんでしょ?
それなのに仕事を続けようと思う理由がよく理解できないなぁ。
結局育児じゃなくて仕事を大切にしたいのなら、会社を辞める必要ないんじゃないの?」
Bさんにとっては
「育児を理由に退職するのなら、当然専業主婦になるもの」
「育児に専念するもの」
との価値観がベースにあるため「退職するのに育児をして仕事もする」の考えに素朴な疑問を抱いたのだと思います。
Bさんのパートナーはお子さんの出産を機に長年専業主婦を担っておられたので、身近な女性のロールモデルとして
「100か0」が当然の形であったのでしょう。
事実、結婚を「永久就職」と呼称し寿退社なるものが慣例であった時代には、女性が仕事から離れ家庭に入ることは一般的とされていました。
私は「仕事か家庭か」の「100か0」の発想を持っていなかったため、ベースとなる価値観の違いによって理解されにくい場面はこの時に限らず経験してきました。
そこで、Bさんへ「100か0」ではない選択の理由について説明をしてみたのです。
① 私の人生にとって育児も仕事も大切であること
② 会社員とフリーランスの働き方の違い(仕事の時間・場所・量への裁量度)
③ ②より、フリーランスの働き方であれば今より育児に向き合う時間を作ることができるということ。自分なりのペースで仕事を継続できること。ただし、事業が軌道に乗るまでは安定した収入の確保は難しいと覚悟する必要があること。
④ ①②③をふまえ、会社員はやめるが「育児と仕事の両立を継続していくこと」にはこの先も変わりはないということ。
このように段階的論理的に説明すれば少しは理解してもらえるかと期待しましたが・・・
「うーん、ごめん!やっぱりちょっとよく分からないなぁ・・・。」
でした。
結局理解は得られませんでしたが、私はBさんの価値観を否定しようとは思っていません。
年齢や性別は関係なく理解や共感をしてくれた人たちはたくさんいますし、Bさんのような考えを持つ人もいることは受け入れています。
大切なのは、正反対の価値観や理解しにくい価値観に触れたとしても、反射的に主観的な「べき論」の枠に当てはめたり、価値観の押し付けや排除をするのではなく、まずは「相手がなぜそう考えるのかを知ろうとしてみる、考えてみる」ことではないでしょうか。
その点では、Bさんは理解できないなりに私の選択の理由について真剣に耳を傾けてくれていました。
「考えてみたけど、それでもやっぱり理解できない。」
それは仕方ありません。無理に理解者になる必要はありません。
このように最終的にお互いの価値観が相容れないという結論だったとしても、拒絶や全面否定されるのとほんの少しでも歩み寄ってもらえたと感じられるのとではその後の信頼関係は大きく変わってきます。
先日、NHKの
「夫婦別姓 “結婚”できないふたりの取材日記」 - ETV特集 - NHK
を観ました。
さまざまな事情で夫婦別姓により事実婚の形をとっている方たちのドキュメンタリー番組です。
根強く残る「家制度」の価値観とマイノリティとされている「夫婦別姓」の価値観が交差しぶつかる場面があるのですが、
所々で「100か0」の考えが少しだけ中和されていくような瞬間を垣間見ることができ、なじみのない(むしろ正反対に近い)価値観への歩み寄りの過程にくぎ付けになりました。
(こんなふうにさらっと書いていますが、歩み寄りは綺麗事ではなく非常にエネルギーを要することが分かります!)
折しも2020年初頭のコロナショックは働き方や生き方への価値観の変化を私たちにもたらしました。
多様な価値観に触れる機会が今後どんどん増えていきます。
「普通とされる価値観」の定義がほぼ同じで、「あうん」の呼吸に近い状態でやっていける時代ではなくなっています。
その中で、自分のフィルターを通して触れたことの無い価値観へどのようにして歩み寄っていくのか?対峙していくのか?
今を生きる私たち自身の課題でもあるし、同時に子どもたちに教えていくことも課題であるなと感じています。
あなたはどう考えますか?
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